これを読めば僕に仕事を依頼したくなるに違いない。
どうして僕は今、デリヘルなど性風俗産業の開業サポートを行っているのか。おそらく出発点は20年以上前に遡る。大学卒業後、出版業に従事していた僕は、ビジネス誌とエロ本に携わっていた。
「エロ本って、おもしろいですか?」
あるとき、ビジネス誌の副編集長が僕に聞いた。僕は「もちろん」と答えた。エロ本に携わるのは経歴上、好ましくない(つまり汚れる)と僕に言いたかった部分もあったように思う。だが、僕にとってそんなことはどうでもよく、それ以上にエロ本は本当におもしろかった。なぜなら、そこはより「真実」を追究する場だったから。
比べてビジネス誌は「偽り」だった。例えばインタビュー。書き手はインタビュー前に、実は既に大まかなストーリーを構成していることが多い。例えばこんな会話をしたとしよう。
僕:「今日は天気がよく、気持ちがいいと思いません?」
相手:「うん、そうだね」
これが誌面になると、
「今日は天気がよく、気持ちがいい」
と、相手が述べたことになっている。良し悪しは別として、ひとつのテクニック。もちろん、エロ本にも偽りはある。修整こそその象徴だろう。だが、それでも例えるなら、ビジネス誌は八百長とわかったらおもしろくないと感じる大相撲、エロ本は八百長とわかっていてもおもしろいプロレスといったところだろうか。
こんなエピソードがある。東京に住んでいた頃、京都の小さなジャズバーでライブを行う機会があった。マスターが、
「記事、見たよ」
そう言って、一冊のエロ本を出してくれた。そのエロ本には、僕がドイツで撮影してきた写真が掲載されていた。ベルリンの娼婦、デュッセルドルフのある大学の標本室での盗み撮り、などなど。
客がトイレに忘れて行ったという。そのエロ本は、捨てられることなく、その店の書棚に飾られこととなった。
さて、40歳を過ぎて、僕は京都で今の仕事を始めた。始めるにあたって、アダルトな業務は取り扱わないこととした。今思えば間違ったことだが、僕自身、きれいなイメージを求めた。アダルトなジャンルを扱うとイメージが損なわれることを、後になって実際に味わった。京都で毎月仕事を受注していた会社が、僕がアダルトなジャンルも扱っていると知り、突然に契約を打ち切ってきた。
「そんな会社、こっちからお断り」
と言いたかったところだが、毎月最低5万円、ときには20万円ほどの収入がフイになったのは、痛くないはずがない。
デリヘルを扱うようになったのは、たまたまだ。一番最初の依頼者は、他では断られたという。僕自身は断る理由もないため、引き受けた。以来、時折デリヘルの届出依頼が舞い込んでくるようになった。ある依頼者は、派遣切りにあった40歳代の男性だった。もう派遣では働きたくない、かといってハローワークに行ったところで仕事はない。資格を持つわけでもなく、自分で起業できるほどのスキルや経験もない。そこで、コツコツと貯めた300万円を原資にデリヘルを開業しようと考えた。彼は関西圏外に住むにもかかわらず、あえて京都まで来て、僕を頼ってくれた。
「先生のホームページ、隅から隅まで読ませてもらいました。先生になら、託せられると思って、お願いした次第です」
と、彼。僕はそのとき確信した。「こっち側の世界でないと生きられない人もいる、そして僕は、こっち側の人間が好きなんだ」と。
最近、僕は多くメッセージを発している。僕自身も理解してもらいたいがゆえのこと。正直に言おう、僕自身も稼がねばならない。僕にも稼がねばならない事情がある。ついでにこれを目にしている同業者にも一言。軽い気持ちでこのジャンルを扱ったら、痛い目に遭いかねないよと。実際、痛い目に遭った同業者もいる。
さあ、本当なら、僕は何も言わない方がいいのかもしれない。無口なままの方がいいのかもしれない。けれど、発信することの大切さ、おもしろさを知っている僕は、やはり発信せずにはいられない。ときには喋り過ぎかもしれないほどに。(23.2.15)